「うちは、きびしくても構いません」
「きびしくしてください。」
多くの保護者の方は、書道教室に厳しく接して欲しいと望んでおられるように思います。
他方で、
「うちの子は、ほめられると伸びる子です」
「きびしくされると、へこみます」
相反するご希望があります。
私は、書道教室の運営を通じて、どちらも達成することは、本当に難しいと感じています。
たとえ、「うちは、なぐっても構いません。」とのご希望があっても、体罰を与えるような指導は、一切しませんし、私自身が人に手を挙げた経験が一度もありませんので、その方法すら、持ち合わせていません。
手を上げなくても、書道を指導できるし、書道をこれまで長く指導を受ける中で一度も手を挙げられたこともありません。このことを変えることは、つもりは、全くありません。
書道の指導に、暴力的指導は、必要ないと思うからです。
子育てについて各ご家庭の方針があるように、書道教室内でも、指導方針があります。
書道の指導や書道を学ぶ際にやさしさだけでは、成り立ちません。それは、単純なことを黙々と繰り返し、その結果として、書き上げたものの中の誤りや、方法の違い(筆運びか文字の形など)を指摘することが、指導の中心になる以上、受講生が嫌だと感じることも、伝えなければならないときがあります。上手くできていれば、当然、ほめます。
受講生は、それらを厳しいとも、有り難いとも、やさしいとも捉えることができます。
ある小学生の保護者の方から見せて頂いた夏休みの日記の一文に以下のようなものがありました。
今日は、書道教室に行きました。書道は、本当に楽しいけど、先生が怖いのでしんどいです。お母さんは、
「だから、うまくなるといいました。」
僕は、ずっと、それは、うそだと思っていました。なぜかというと、前は、もっとおこられなかったのに、だんだんうまくなっていると思ったからです。でも、今日は、
「うまくなってきたから、きびしいことも言うんやで」
と、先生が言ったので、そのことがわかりました。
私は、きびしくしている理由を理解してくれた彼の成長に、その場で涙がこぼれそうでした。保護者の方も、よく見せて下さったものです。子供の本音は、よくよく注意していても、見えにくいことがあります。こういう、日記の一文を見せて頂くと、ほっとします。
書道に限らず、何かの指導をされている方は、いつも、「何か間違えていないか」「他の方法は、ないか」と、気をはることが多く、精神的に参ってしまう方も少なくありません。こういう、作文に接し、「間違えていなかった」と、胸を撫で下ろすことができました。ただ、これで、満足していられないのも、現実です。
書道教室に求められるものと、実際に出来ることのギャップは、少ない方がよい。
字をきれいに書くことは、ある意味で一生有効な一つの財産です。
これからも、そのことを刻みながら、毎日、お稽古や自身の研鑽を継続したいものです。