字を書くだけなのに、こんなに苦労するなんて、思いもしなかった。
字をきれいに書きたい。
字を書くことが好きだった。
お友達のようにきれいに書きたい。
ただ、それだけ。
簡単に、そう思ってはじめてみた。
書道の最初の壁が目の前に立ちはだかったとき、誰もが、そう思うのではないだろうか。
子供だって、同じ。
はじめは、楽しかったんだよなー。
そんな思いを言葉にできる子もいれば、言葉をぐっと飲みこんで頑張ってチャレンジし続ける子もいる。
残念ながら、「書道は、向いていない。」と、あきらめそうになる子もいる。
子供の頃に、早々にあきらめて次のお稽古にチャレンジする。
それは、一方で無駄な時間を向いていないことに費やす必要はないと考えての判断だろう。しかし、それは同時に、次のお稽古も早々に諦める可能性を秘めている。
大人なら、自己責任でご自身の興味関心事に時間を費やせばよいと思うが、子供の場合、各ご家庭ごとに、判断は異なり、子供たちへの影響を思うと、判断が難しい。
書道に向いているか、向いていないかの判断は、非常に難しい。
短時間で成果を上げることもあれば、それなりの時間とともに書の奥深い楽しみと出会うこともある。
大人の場合の成果は、単純に言葉にし難いが、子供の場合、きれいに書けることを一つ成果と考えると、ほとんどの場合、正しい指導者と正しい教材で、書写(小学校の学習範囲)が求めるきれいな字は、書けるようになる。
しかし、その後、子供が大人になって、楽しかった書道をもっと学びたいと思ったとき、子供の時の書道体験が無意味なものになる場合がある。それは、書写のみを書道と誤解するケース。
書写の能力のみで書道の指導をしている指導者習ってしまったケースは、ゼロからのスタートかマイナスからの再スタートを要求される。
大人になって書道を再スタートするとき、別の「なんでだろう」に直面するかもしれない。