東京都目黒区で五才の女児が両親の虐待により死亡。ニュースを見て、いたたまれなくなる大人の数は、多いというのに、なぜ繰り返されるのか。両親は、すでに保護責任者遺棄致死罪で逮捕。
運営している書道教室には、4歳~受講生の入会を受け付けている。親の愛情につつまれ、すくすくと成長する小さな受講生をいつも目にしている私には、親が子を虐待するなど、とてもじゃないが信じられない。人の親にならずとも、子供の命を奪うようなことを信じられる人は、多くないはず。
この週末に、5歳で入会し、五年以上お稽古に通っている受講生の5年表彰を墨歩展でする。わずか5年といっても、とても複雑な心境になる。
ニュース等の記事を読むと目黒区の女児は、毎朝ひらがなのお稽古をしていたという。うまく書けなかったのか、字を覚えられなかったのか、詳細はわからないが、報道されている彼女が書き残した文字を読むと、心がしめつけられる。以下、彼女が大学ノートに書いたと報道された反省文の一部。
じぶんから きょうよりか もっとっとあしたは できるようにするから もう おねがい ゆるして ゆるしてください
きのう ぜんぜんできてなかったこと これまで まいにち やってきたことを なおす
これまで どんだけ あほみたいに あそんだか あそぶっ
て あほみたいだからやめるので もうぜったい ぜったいやらないからね わかったね ぜったい ぜったいおやくそく あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて もうあしたは ぜったいやるんだぞと おもって いっしょうけんめいやって パパとママにみせるぞ というきもちで やるぞ
私がいつも書道教室の中で接している5歳児は、こんな文章を書いていない。もっと、楽しい言葉を書いている。
こうえん ブランコ どうぶつえん かぶとむし もも いちご バナナ
五歳児にとって当たり前にある当たり前の楽しい言葉を使った文章を、五歳児には、書いて欲しい。そして、何一つ恐怖心を感じる必要のない当たり前の日常を繰り返して、ランドセルに希望をもつ5歳児であって欲しいし、それが当たり前であって欲しい。
5歳児が、ひらがなを覚えて楽しく書くことは、5歳児にとって守られるべき当然の権利なのだ。
覚えられなくても、うまく書けなくても、それらを楽しみながら遊びの一環として、5歳児の当たり前の日常に取り入れられるようにすることは、5歳児と接する大人の責任であり、義務だと私は、強くそう思う。
そして、それは、4歳であろうと6歳であろうと同じことたなのだと思う。