今年、1月に日本初公開となった祭姪文稿などを展示している顔真卿展に足を運んだ。
良いものは、何度観ても、何時間観ても良い。
祭姪文稿ばかりが注目されていたが、顔真卿展と題されてはいたが、自叙帖など他にも観るべき作品がたくさんあった。
心の洗濯に大いに役立ち、やはり、書は、私にとって、精神を根底から豊かな方向へ誘ってくれる。
残念ながら、今回の顔真卿展に関しては、観覧された中国人の方々に不快な思いをさせたようでした。それは、お土産品コーナーで販売された祭姪文稿のグッズに憤りを感じられたようだ。
私は、それをネットで知るまで、思いもよらなかった。特に、祭姪文稿の文字を豆皿に彫り込んだグッズが問題になったようです。その豆皿に醤油を注いだ様子が見本として商品の横に並べられていた。醤油をその豆皿いれると祭姪文稿の文字の部分のみが深くなっているので文字が濃く浮かび上がるという商品でした。確かに、祭姪文稿は、理不尽な死を遂げた身内のことを書いた内容なので、その顔真卿の憤り、感情の起伏が現れた文面と書に深く思いを寄せる人からすれば、「その書に対して、なんと失礼な扱いをするのだ」と感じて当然である。
確かに、今回の顔真卿展では、一見すると100円ショップで販売されている商品を顔真卿の書に変えたアレンジ商品が多く、苦笑するものが少なくなかった。そういったことも、中国人の方々の顔真卿に対する尊敬の念を刺激したのかもしれない。日本人が想像する以上に、中国人の顔真卿に対する、人格への思い入れは、深い。圧倒的な人気なのだ。
一般に、日本人は、書家に書を求めているだけかもしれないが、中国人のみならず、世界では、書家に対して、書のみならず、人格、教養を求められている。世界で書家が尊敬されるのは、歴史上の書家が人格、教養、書の三要件を備えているからです。現在の日本でも、伝統的に書を学んできた方々は、自ら、書家と名乗ることを避ける傾向がある。近年の若い人は容易に書家あるいは書道家と肩書をつけているが、伝統を重視して何十年も学んでいる人にとっては、不用意にしか見えない。
話がそれてしまいましたね。
顔真卿展、早く、UPしようと思っていましたが、PCの不調もあったり、上のこともあって、不用意にUPできませんでした。そろそろ、落ち着いたので、UPしました。