ひらがな、カタカナ、漢字を学ぶとき、
「とめ」「はね」「はらい」の違いを何度も指摘されているうちに、
私たちは、どうして、「とめ」「はね」「はらい」が大切なのかを
考えないままに、大事なのだとすりこまれてきたように感じることがある。
書道教室を運営したことがある方、
これから書道教室を運営したいと考える方、
各種学校の指導的立場にある方しか、
これらのことを考える機会がないのではないでしょうか。
お子様に指導するとき、
書道に親しんでおられる方等
本当は、その理由を知らないけれど、
あるいは、そんなことに疑問を抱くこともなく、
そこは、テキスト通り、「とめ」「はね」「はらい」を指摘してしまうのではないだろうか。
「とめ」「はね」「はらい」は、次の点画に進むための道順、道しるべのようなもので、
単に、それを書きあらわすことが重要なのではありません。
しかし、残念ながら、正しく文字を学んでいるかどうかの基準として、
「とめ」「はね」「はらい」が十分にできていないと、減点の対象になったりするものだから、
減点をさけるために、「とめ」「はね」「はらい」だけが、一人歩きし、
単に、重要だと誤解されているように感じることが、たびたびある。
気脈(筆脈)の流れ、空画(空筆)といったものを無視したまま、
「とめ」「はね」「はらい」を理解することは、難しい。
運営している教室で子供たちと、
点画のつながりについて話をし、
徐々に、「とめ」「はね」「はらい」を実際に書きながら、
身につけていく姿を見ていると、
体験を通じて学ぶことの大切さを痛感する。
少し意識して、
正しく筆を運んでみると、
「とめ」「はね」「はらい」は、
それがいかに必要で、自然なことなのかが、
よくわかるように思うのです。