争坐位文稿(そうざいぶんこう)は、争坐位稿(そうざいこう)としても、
広く知られています。
下 写真 中国書法名品展図録より
顔真卿(がんしんけい)の楷書として、顔勤礼碑を紹介しました。
顔勤礼碑の記事
http://kyoho.seesaa.net/article/379069345.html
今回は、顔真卿の行書です。
様子が随分違いますね。
筆を運んでみると、
「筆が思い通り、思うところに動いてくれない」
「こんな線を引きたいのに、動いてくれない」
弱ったなぁ~と、以前、どうすればいいのか、
自身の腕は、瞬間に変わらないので、筆を工夫して何とかできないものか。
安直な考えで、超長峰で再び争坐位稿の臨書に挑戦しました。
案外、うまくいったので、不思議だったことをよく覚えています。
超長峰とは、筆の穂の長さの違いによる分類で、
軸の直径の6倍以上の穂の長さがあるものを超長峰いいます。
細部を観ると、じっとりとしていて、
鳥瞰すると、さらっと見える。
そこに魅せられて臨書を何度もしては、
たくさんの反故紙が出来てしまいました。
超長峰は、コントロールが難しいので、
力の入れ加減を微妙に工夫する意識が他の筆を使用した場合より鋭くなります。
きっと、そのことが、ねばりがあって、さらっと見える線を引くきっかけになったのでしょう。
私にとって、争坐位稿は、観ているより書くと難しい古典のひとつです。
みなさんには、どんな風に争坐位稿が観えるのでしょう。
実は、私は、若い頃、争坐位稿の美がわかりませんでした。
友人が熱心にお稽古しているのを横で見ていて、
何がいいのだろうと思っていたのです。
それから、随分と時間が経過し、ある時、
「あ゛ーっ」
という感じで、響いてきた美。
古典には、その時すぐにわからなくても、
自身が成長してわかるものがたくさんあります。
なんだかわからないけれど、心に響く感覚を大切にしたいものですね。