人は、何をもって楽しいと感じるのか。
それぞれの価値観で随分ちがうように思います。
書道の場合は、どうでしょう。
様々な方と<、出会いお話していると、
なんとなく、
「書道とは、○○である。」
と、決めてしまっている方が少なくないように感じます。
例えば、
「書道は、精神修養である。」
「書道は、実用に生かすものである。」
「書道は、芸術である。」等
それら全てがそれぞれの価値観の中で、正しいのだろうと思います。
それぞれ、異なる感じ方があるのは、
多くの方が書を学んだ経験をお持ちである証拠で、
学んだ経験からくる印象もあって、それぞれの考えに至っているのでしょう。
40,50,60年と書を学び続けている方にとっても、
それぞれの意見は、決して同じではなく、
書に接する態度、書を学ぶ方法が異なってきます。
中には、書は、楽しむものではないと考える方もおられるでしょう。
しかし、私は、書は、楽しむものだと思っています。
なぜなら、私は、
「好きこそものの上手なれ」
このことわざを信じていたいからです。
好きであるには、楽しめるものでなければなりません。
書を楽しむには、書の世界の醍醐味に出会う必要があります。
書を楽しむには、出来ないことを楽しむ心のゆとりが必要です。
書を楽しむには、出会いが必要です。
最後の一文については、
語弊があるかもしれません。
書籍でも、古典でも、人でも、書に関わる何かとの良い出会いは、必要だろうと思います。
そして、その出会いから、きっと、書の様々な登り口が見つかることでしょう。
山を登るように、登り口が見つかれば、
きっと、筆を運ぶことで、
生活に豊かさを注ぎ、心も豊かであられるでしょう。
それは、書に限らず、様々な芸術や趣味に共通することでしょう。
私の場合、書に出会えたことで、様々な豊かさを得、
今日まで、日々、変わることなく、筆を運び、
この道を楽しみながら、歩み続けてこられているのだと思います。
ただし、全く苦しみがないかと言えば、それは嘘です。
書作品を生むには、苦しみも乗り越える必要があるからです。