最近は、日本でも行書、草書を読める人が減りつつある。
人によっては、行書・草書を書く人が悪いと言わんばかり・・・
何とも悲しい感じを受ける。
しかし、最も多く書かれているのは、行書である。
書に関わるものとして、少し複雑に捉えてしまいそうになる。
随分前のことである。
英語を母国語とする人と、私を含め英語を母国語としない人数人で、英文のブロック体と筆記体の話をしていた。
英語を母国語とする人の一部の国の方が、言い出した。
「(筆記体について)そんな文字を書くのは、今では、高齢の方だけで、
国内で筆記体を読める人は、いないし、すでに過去のものだから、
外国人が筆記体を書いているのを見て驚かされることがある。
そもそも誰もブロック体しか書けないよ。」
他国の人が自身の文化を有しているにも関わらず、自身の文化の筆記体を書けないことを恥じる様子がないことに、
私は、戸惑いと恐怖を感じたことがあった。
ちょうど、日本でも書類に「楷書でご記入・・・・」などの注意書きが増えていたからです。
いつか、日本もそうなるのだろうか・・・。
ちょうど、同じく英語を母国語とする他国の人から、
「私たちは、誰でも筆記体もブロック体も読めるし書ける」
と、発言があったので、ほっとした。
日本語を学び、文字を書くことができるようになると、
毛筆に関心を抱く人は、多い。
そもそも、諸外国の中でも特に欧米では、
書道に対するとらえ方は、日本人と異なっている。
非常に神秘的な芸術と捉える方が多いように思う。
今年もあとわずかになり、
来年は、もっと他の芸術をよく見聞きしてわかり、
書について考えを深めたいと思う。
今年も一年間、お読みいただきありがとうございます。
みなさまにとって、新しい年も実り多き一年となりますように。