こんなことを言ったら、ほとんどの人は、驚くだろう。
書道の道具は、身分不相応なものを選べ!
道具選びについて、故 今井凌雪先生に尋ねたことがある。
「先生は、御著書で道具は、身分不相応なものを選んだ方がよいと書いておられますが、私のようなもの(当時大学生)でも、身分不相応なものを選ぶべきでしょうか?」
今井先生からは、
「私は、中谷釜雙(なかたに ふそう)先生から、そう習いましたよ。」
私は、どこかで身分不相応の言葉を否定して欲しかったので、更に尋ねた。
「それなら、書道を続けるのは、大変ですね。」
今井先生は、
「せやなぁ。(そうだね) えーもんは、えーで。(良いものは良い)」
まるで禅問答である。
私は、えいやーって気分で、端渓硯を二面購入した。
二面になったのは、どうしても大きさに迷って、一面に決められなかったからだ。
今も、その端渓は現役である。
確かに、えーもんは、えー。
年々、その良さを深く理解できるようになる。
いつの間にか、手放せないものになっている。
なぜ、身分不相応なものを求める必要があったのか、今のところ確信を持てる答えは、豊かであるということくらい。
そのうち、これも深くうなずくことができる答えが見つかるのだろう。
見つけたいものである。