子供の書道では、練習と清書を繰り返すことが多い。
きょうほ書院の教室でも、子供書道は、練習と清書を毎月繰り返している。
「今日、清書?」
「清書」と、答えた日は、観念して清書に精を出し、
「ちがう、練習」と答えた日は、
「やったー」とはりきって練習している。
このやり取りに、何の意味があるのだろう。
結局、どっちも同じように頑張っているではないか・・・。
いつも、そう思うが、毎月、誰かは質問してくる。
さて、大人にとって、清書とは何だろう。
きょうほ書院では、大人のお稽古で清書を特に設けていない。
その理由は、書作品の特性と関係している。
書道は、一枚一枚が勝負で、すべての文字が上手く書きあげられるはずがない。また、筆と紙と墨の三点セットは、作者自身が100%管理、コントロールしきれるものでもない。つまり、どこか偶然性というか、運を天に任せるようなところがある。
積み重ねて、必ず良いものが書ける保障などないが、そう信じて誰もが繰り返し書く。
一回でどこまで書けるようになるか。
半年、一年のスパンで見れば、はじめの一枚のレベルが上がっていくように思う。
それでも、誰もが、自分自身の腕の上達に満足できないでいる。
展覧会などで締切など期限を設けられると、最後の一枚と決めて書き、これまで書いたものの中から、一番よいものを表具する。
これを大人の清書と言えば、清書かもしれない。