理由は、よくわからないが、日本では、柳公権を学ぶ人が中国ほど多くない。
書道のレベルが一定に達すると、伝統的な書の学び方として、私たちは、倣書を繰り返す。
(残念ながら、倣書を教えられる指導者が少ないことは、別の問題としてあるが、今日は、そのことにはふれずにおこう。)
倣書する際にも、また、臨書をする目的としても、先人がどのように学び、どのように影響を受けているかを鑑賞することは、私たち書を学ぶものにとって、重要だと思う。
今日は、柳公権を例に鑑賞してみましょう。
柳公権は、顔真卿をよく学び、顔真卿没後は、顔法を継承した有名な書家と評されている。
柳公権の玄秘塔碑(げんぴとうひ)
実は、顔真卿を学んだことがある人は、顔真卿だと思ったかもしれません。
顔真卿の書は、フォントの明朝体の基礎になっていますから、書をあまり学んだことがない人には、明朝体のように感じたかもしれませんね。
顔真卿を観てみましょう。
下画像の顔真卿 顔勤礼碑は、顔法を学ぶ最もよい資料と言われている。
下画像Wikipediaより
顔勤礼碑については、以前ブログでも紹介しました。
ブログ書のおばけ顔勤礼碑
柳公権と顔真卿の楷書には、どちらも「雨だれぽっとん」(勝手に私が呼んでいる)、点画の払い、はね、の特徴がみられます。
実は、顔真卿も、柳公権にしても、好む人が多い一方で、何が何でも否定的見解を持っておられる方も存在しています。
かつて、米芾(べいふつ)は、『海岳名言』に、柳公権について「醜怪悪札の祖(しゅうかいあくさつのそ)」とまで書き残しています。
「書の美醜」
この言葉は、今井凌雪先生から、何度も聞かされた言葉です。
書には、美も、醜もあるということ。書道が芸術であり、芸術足り得るには、人の心を動かすものでなければならない。それは、必ずしも、美に限られたものではない。
かなり、はしょったので、わかりにくいかもしれません。今井先生をご存じの方にとっては、先生らしい・・・とおっしゃるかもしれません。