ずいぶん以前の話である。
筆を購入しようと書道用品店に立ち寄った。何種類かの筆を見て、どの筆にしようかと思案していた時、馴染みの店主に「何の筆をさがしているのか」と、尋ねられた。作品用の筆を探しに来たけれど、どうも思うものがないけれど、折角来たのだから、半紙用に蘭蕊羊豪(らんずいようごう)を分けてもらおうかと思っていたところだと伝えた。
店主は、「そうか」と言って、いつも座っている店の奥の方へ立ち去った。
私は、しばらく悩んで何十本から一本を選び、会計を済ませた。
それを見た店主から、「どれを選んだのか」と又尋ねられたので、「これだ」と筆を見せた。
店主は、他の蘭蕊羊豪と、私が選んだ筆を見比べ、「なぜその筆を選んだのか」問われた。言葉に詰まる私に矢継ぎ早に「これは、なぜ選ばなかったのか」と、一本の筆を選び出した。そう、私がはじめに選ぼうとした筆だったので、驚いて答えた。
「その筆を欲しいと思ったが、軸の歪みが気になってやめた。」ことを伝えると、軸が歪んだ筆を、店主のいつもの定位置に持って行き、「ちょっと、こっち、おいで」と、私を呼んだ。
店主は、ろうそくに火をつけ、机の角に蝋をたらし、ろうそくを固定し、軸をあぶりはじめた。
そして、ゆっくりと軸を温め、軸の歪みを調整しながら、話してくれた。
この筆がいいと思ったのなら、はじめから、この筆を買うべきだった。筆は、一本一本違うから、その一本に出会ったときに買っておかなければ二度と手に入れられないこと、軸など何とでもなること、そして、最後に、力強く一言付け加えた。
「手伝ってあげられるのは、ここまでや。後は、自分で筆を育てるんやで。」
当然ながら、会計を済ませた筆と店主が調整してくれた筆を交換してもらった。
あの時、店主から聞いた一言が大事な言葉であることに気が付くのに、時間はかからなかった。
今では、筆を束で買うこともあるが、使いながら、一本一本育てる意識を持ち続けている。
あれから、30年近い時間が流れた。
今も、その筆は、現役です。
そして、その店主には、もう会うことが出来なくなったが、その店、笹川文林堂(奈良市)に立ち寄ることがある。
今も現役のその筆を使うと時々、この言葉を思い出す。