なぜ、硯にこびりついた墨を洗わないのだろう。
以前から、不思議でならなかった。
私は、特別、整理整頓が得意でもなければ、チョー清潔好きでもない。しかし、硯に墨がこびりつくことはない。
理由は、簡単だ。硯にこびりついた墨があると筆を痛めるからです。
しかし、いくらそう説明しても、硯に墨がこびりついた状態にしている人が少なくありません。
先日、ある人が理由を口にした。
初めて聞く理由にびっくりした。
その方の場合、「墨がもったいないから、硯に墨がついたままにしている」と・・・
つまり、墨汁がこびりついた硯にそそぐとこびりついた墨汁が時間とともにとけて、使用できるので、洗い流すと、墨汁がもったいないと・・・。
墨汁と筆、どちらがもったいないのだろう。
こびりついた墨汁のせいで、筆の毛が硯にひっかかり、切れて、こびりついた墨汁の塊の中に、毛まで存在している状態を見て、洗った方がいいと、伝えた。
同時に、古い墨汁がとけて、硯の中は、いつも粘っている。
いつもその状態では、書きにくいと思わないのだろう。
もちろん、あえて粘りのある墨を用意して書き、書道作品に仕上げることは、ある。
しかし、古い墨は、色が悪い。半紙などに書いただけではわかりにくいのかもしれないが、表具すると、その違いは明らかになる。それを意図して書道作品に仕上げたいのなら、話は別だが、きれいな仕上がりにはなりにくい。
人には、いろいろな思いがあるので、強制するつもりもない。
墨をすることがなく、墨汁しか使用しない場合は、だんだんそんなことを考え出すのかもしれませんね。
とにかく、初めて耳にした、硯にこびりついた墨液をそのままにしておく理由に、衝撃を受けた。