書作品の鑑賞を言葉で説明することは、とても難しい。
なぜなら、感じるものだからです。
鑑賞して、感じとることは、抽象的すぎて、人によっては、何も感じないのかもしれません。
書道の場合、人は、作品の前で、「わからない」という言葉を発する方が少なくない。
「わからない」の意味としては、
★書かれている文字がわからない。
★書作品の良し悪しがわからない。
★何をどのように見ていいのか、そもそもわからない。
こんなところでは、ないでしょうか。
少なくとも小学校で書道(書写)を学んだが、子供の頃の作品は、上手い下手がわかりやすかった。
そんな風に思う方も多いと思います。
それは、書道の中でも書写の一部だという認識が欠落しているので、書作品の前で、書写作品を見るように上手い下手を見てとろうとしているのでしょう。
書道の作品を鑑賞するというのは、鑑賞者が上手い下手を判断することではありません。
恩師、今井凌雪先生の作品を縁あって譲って頂きました。
普段は、写真にとって、PC待ち受け画面にしていますが、今回、少し編集を加えマットと額に入れたように加工しました。
芸術作品を多く鑑賞する方々にとっては、「書は飽きない作品である」というのが、共通の認識ではないだろうか。
今井凌雪先生の平成元年春に鷗外荘で揮毫された(書かれた)「惜墨如金」です。
原稿か作品締切に追われ、鴎外荘に缶詰め状態だったのではなかろうか・・・そんなことを思ったりします。
未表具作品なので、オフィスで大切に保管していますが、近いうちに表具したいと思っています。
この作品を目にすると、ただ鑑賞するということを超えて、
墨を惜しむように毎日、ちゃんとやってるか???と、問い正されるように感じます。(これは、私の場合の特殊な感情)
人の心に残る作品を残し、この世から旅立つことは、私のささやかで、とっても大きな目標のようなもの。この作品を目にして、みなさんがどのように思われるのかは、わかりませんが、私にとっては、心に響く作品の一つです。
飽きない作品をながめながら、無防備に筆を運んだ紙の山を顧みては、反省する。いつになったら、そんなことから、卒業できるのだろうか。。。。。とほほ(笑)