通常のお稽古をしていると、園児と戯れる時間があります。
戯れるといっても、走り回って遊ぶわけではありません。
あくまでも、お稽古である以上、かきかたのお話をしながら、私は、園児が興味を抱きやすいようにフォローしているつもりです。しかし、園児にとっては、それも、お遊びの延長線上のことです。
残念ながら、現在、コロナ禍で、なかなか園児のそばで、今までのように楽しくおしゃべりしながら、学ぶということができませんが、可能な範囲で、いつも子供たちとのお話をお迎えに来られた保護者の方に伝えて、おうちでフォローして頂いています。
「字を書く」というと多くの人は、突然、「勉強」「学習」と思って力が入ってしまいますが、本当は、そんなに力を入れる必要は、ありません。日常生活の延長線上のことだからです。
私たち大人は、「勉強」「学習」というものを真面目に、静かに、黙々と、辛いことを耐えると考えてしまいがちです。大人だけでなく、小学生もある時期から、そう思うようです。
しかし、本来、「勉強」「学習」という学びの過程は、本当に面白いもののはずです。学ぶということは、未知との出会いですから、ワクワク、ドキドキの連続で、時に、興奮してしまうほどに楽しいものです。
園児のうちに、学びことは、楽しいと実感しても、小学生になると何故か、辛いことのように思うのは、どうしてなんだろうか。私にとっては、いつも、頭の片隅の残るテーマです。
コロナ禍になる以前、時々、子どもたちに質問したことがありました。
なんで、勉強は、楽しくないんだろう。
決まってるやん。面白くないから。
なんで、面白くないん?
興味ないことばっかりやから
上の会話を何人とも繰り返してきました。つまり、小学生は、興味があれば、楽しいと感じるのです。
だから、説明の仕方を変えれば、楽しくなるはずなんですよね。
一旦、興味を抱くと、子どもたちは、探求心に火を灯すので、どんどん、自分で学ぶはずなんです。
だから、時々、私は、思うのです。
書道が嫌いとか、面白くないと言われると、私の説明の仕方かもって。
もちろん、中には、面白いわけではないけど、書道って、うまくなると、みんなに褒められるからやってるって、小学生もいます。
園児のうちに、しっかりと、学ぶことは、楽しいものだとインプットして、その上で、学ぶ過程を大人が少し工夫すれば、小学生になっても、学びは楽しいものだと思うのではないかと・・・。
園児にとって、字を書くということは、学びの初期段階です。そのタイミングで字を書くことが楽しいのか、学びが次につながり、どんどん字が読めて、絵本を読める。どんどん字を書けて、お手紙まで書ける。何気なく書いたら、母が、父が、祖父母が泣いた。
↑よくある話です。
小さい子供たちに限らず、大人だって、同じです。
コロナ禍で巣ごもり時間に、なかなか会えない大切な方に宛てて、お手紙を書いてみるのも良いものです。字が上手だとか、下手だとか、そんなことは、棚の奥の方へ追いやって、久しぶりに改まって書いてみると、優しい気持ちになれますよ。きっと。
コロナ禍では、些細なことにイライラしてしまいがちです。私もそうです。
そんなとき、私は、筆を持つ以外に、とっておきの万年筆で便箋や日記帳をうめます。
たったそれだけのことですが、時間を消費したはずなのに、ゆとりの時間が増えた錯覚におちいります。手書きは、本当に不思議ですね。
誰か、脳波とか測定して、科学的に証明して欲しいですね(笑)