昔から、
「子供は、時代をうつす・・・社会を反映・・・」
などと言われますが、
今の小学生は、本当に情報に敏感に反応する。
本当に驚かされることばかりです。
時には、するどくて、返答に困ることもある。
今回の東京五輪エンブレムの一件から、
小学生の口から「パクリ疑惑」「著作権」などの言葉を聞くようになった。
書道では、集字といって、古典から字を集めることがある。
作品をつくる際には、字典や古典の碑法帖から字を集めることもある。
先日、夏休み期間中に消しゴムはんこのアイディアとして、高学年には、書道字典などを紹介した。
そこから、文字を集め、消しゴムはんこで篆刻入門もどきを体験した小学生が一言。
「これって、ただのパクリやんなぁー」
この小学生の発言の裏には、自分一人ですべてを完成させたものではないと言いたいのかもしれない。
「ただのパクリ」ではない
理由は、美術絵画の模写と同様、書道には臨書することにより、学ぶ課程がある。篆刻では、摸刻することも多い。
学ぶための行為はパクリではない。
また、作品と発表する際に、臨書であること、原本を明確にしていれば、書道の場合、臨書作品となる。
臨書という学び方のためか、日頃、お手本をまねることから学ぶためか、展覧会の会場で撮影した作品をそのまま、真似て書き、自身の作品として発表する厚顔な人は、少なくない。
これは、書道を学ぶ者の一人として、長年、寂しく思っていることです。
けれど、残念ながら、そういう人は、なかなか減らない現実。
子供たちを自身が運営する教室で受け入れることを再開した時、
まともに書道を捉えられ、かつ、広がりを持てるように。
子供たちの芽を摘んでいる書道教室が多すぎると感じ、
子供たちののびる芽を決して摘むまいと、砕身の努力をしているつもりではいる。
ちょうど、小学生からの一言で、説明できる機会があって、良かった。
わずかでも、確かな、伝統書道に触れてもらいたいと願う。
書道を学んでいる方々は、
一度、よく考えてみませんか。
あなたが書かれた作品は、本当に作品と言えますか???